Bitter Bitter Sweet(s) 後日談


藍浦 敬人

櫻木 桜子

透野 結愛


 あれから数ヶ月の月日が流れた。

 俺──藍浦敬人は料理教室を辞めることも出来ず、なんとなあく通い続けていた。

 今日もそう、週一回のレッスン。その為に態々バイトを休んできた。なんていうか、ほんと不毛ってヤツ。

 「こんにちは」

 最近の先生は俺のことを出迎えてくれる。前ならギリギリまで準備してたのに。まあそれもある時を境に変わった事で。検討はつくけれど訊かせてくれない雰囲気というか。地雷?的なの。ほらあれ、パンドラの箱。

 「こんにちは。今日はなんですか」

 「今日はパウンドケーキです」

 テキパキと準備を進める先生を他所に俺はエプロンを着ける。通うって決めてから、ちゃんとエプロンも買ったんだけど。なんだかなあ。なんだかっていうのは、先生の反応だったりエトセトラエトセトラ。どうしてこうタイミングが悪いんだか。

 「先生、昨日の9チャン見ました? ガトーショコラの特集、めっちゃ美味そうでしたよ」

 「……見てないです。昨日はずっと5チャン」

 なんか引っかかる笑み。これもきっと訊かせてはくれないんだろう。

 どうやら先生にはちょいちょい引っ掛かる単語があるらしい。時々妙な反応を返される時がある。

 「今度ガトーショコラ作りたいなあ〜。ねえ先生」

 「ダメダメのダメ」

 あ、これか。

 最近よくやるんだけど、どれが地雷か知りたくてカマをかける。今回は多分ガトーショコラ。有無を言わさない目力というか、これ以上進んだら何か起きちゃうんだろうな、という予感。

 「ほら、パウンドケーキのレシピ見てください」

 紙でペシって叩かれた。やっぱちょっとした仕草がイイ。誘い水なのはわかってるんだけど、まんまと引っ掛かってしまうというか。いやいや、もう笑えんぞ、俺。

 数ヶ月経つと流石に慣れてくるというか、作るのも板についてきた? なんちって。

 ぱぱーっと作って食べて、他愛のない話をして今日も終わり。

 「調理器具洗ってきますね」

 「あ、すいません気が利かなくて。俺やるんで置いといてください」

 「いいですよ。座って座って

 「いやあ、さすがに」

 先生を座らせて流し台に向かう。うっかり気が利かないことが多くて恥ずかしい。こういう時あの人だったら、なんて浮かんでくると無性に嫌になってくるというか、腹立たしい気持ちと苦しい気持ちがごちゃ混ぜになる。

「俺も透野さんみたいに気が利くタイプだったら良かったんですけどね」

 何でわざと聞こえるような声量で言うかなあ、俺。

 「…………」

 案の定返事は無いし。まあそりゃそうだとも思うけど。

 いつの日からか急に姿を消した人。先生は知ってる、というか渦中の人っぽいから答えたく無いんだろう。

 「透野さんは優秀でした。あまりにもね」

 予想外返答に手は止まるわ胸は高鳴るわで、しっちゃかめっちゃかだ。何で応えちゃうかなあ。焼け石に水? なんか違う気もするけど、そういう感じ。だから言ってしまった。

 「透野さんと何あったか知らないですけど、俺じゃダメなんですか」

 口が滑るにも程がある! 何言ってんだ俺、本当に。

 「…………、」

 何か言いたげにじっと見つめてくる瞳を、そのまま憎めたらどれだけ良かったことか。どうしてそんな目をするんだ。そうじゃなくいっそ蔑んでくれれば話はもっと簡単だったのに。おかしいよ、この人。

 いや、だからこそって感じなんだけど。やだなあ、ほんとやんなるなあ。

 「ダメですよ、ダメ」

 伏せないで、こっちを見て。って言えたら良かったなあ。

 とっとと洗って帰ろう。明日は朝からバイトだ。

 「ガトーショコラ、美味しく作れたら……考えましょう」

 最後の言葉は聞かなかったことにした。

 

 「はざーっす」

 勤続五年になるこのバイト。割とリーダー的ポジションにもなって充実している。だからまあ新人を教えるのも俺の業務なんだけど……だからってこれはあんまりだと思う。

 「今日から働くことになった透野結愛さんです。分からないこと多いと思うから色々教えてあげてね、藍浦君」

 なんでよりにもよってこの人と同じ場所で働かなきゃいけないんだ。昨日の今日だってのに、これはダブルパンチ。かなり効く。

 「よろしくお願いします」

 出た、そのシラーっとした態度。あの時も意味分かんなかったけど今も大概だ。つかバイトの先輩なんだから少しぐらい敬意をはらったらどうなんですか透野結愛サン?

 「あは、よろしくお願いします透野サン」

 これでも笑顔でいられる俺は相当大人なのでは? 偉い、偉いぞ俺。

 ただそこからの時間は地獄。地獄オブ地獄。正直勘弁してほしかった。視線は冷たいし、態度は二人の時は限りなく横柄。あのもう少し猫被ってくれません? ってなんで俺が頼まなきゃいけないんだよ。

 「まだ通ってるんですか」

 「あ、その話するんですか」

 タブー的なものだと思ってたから敢えて触れずにいたのに。まあそっちがするって言うなら良いんですけど。

「しちゃ悪いですか」

 「いえ別に。ただまあ、突然居なくなったって聞いたから、あんまり触れるのもなあって」

 「……そうですか」

 しゅんって。萎れた花ってこんな感じだよなあ、なんて考えてたら急に女の子っぽい顔でこっちを見るもんだから、なんか、困る。

 「先生、元気ですか」

 「あ、えと、元気っぽい? ですよ」

 微妙に嘘もつけないけど、二人の間を取り持つようなこともしたくなくて変な返答になってしまった。

 「…………そうですか」

 何か声でも掛けるべきかと迷っていたら、こういう時に限って客がくる。いらっしゃいませーと言ってる内に透野さんは品出しに消えていた。

 いや、教えたんだからレジ打ってみてよ。